一段階引き上げて考えるということ

いま,

Topoi: The Categorial Analysis of Logic (Dover Books on Mathematics)

Topoi: The Categorial Analysis of Logic (Dover Books on Mathematics)

を読んでいる最中.圏論と論理.わくわくするじゃないですか.
この人の書き方はとてもわかりやすいですね.とくにtoposの定義にまつわる,subobject classifierの部分の件は,とてもわかりやすかった.つまり,集合を考えることと,その特性関数を考えることは同じことである.ではその特性関数の満たすべき性質とは何か.それは何らかのpull back図式が性質することである.じゃあこれを集合論に依拠しない形で圏論の言葉で書こうよというのが粗筋.

要するに,当たり前のことを一段上に上がって考えてみようということですよね.圏論というのは確かに抽象性が高いんだけど,普段何気なく使っている集合のあれこれを圏論に持ち上げることで,ある種の「プロトタイプ」を得ているわけです.このことが,現代数学をドライブさせてきたんじゃないのかと,最近実感しました.

以前のエントリでもあったけれども,厳密な定義というものが必要になる理由とは何かといえば,もともとは「他人とコミュニケーションをとる上での最低限の同意事項」を保障するためだったと思うんです.そうでないと,数学が秘密主義みたいな,門下生にしかわからないなどという感じの閉塞的な世界に陥ってしまっていたはずです.ところが,そうして定義や公理を整理しなおしているうちに,「もっと抽象化できね?」という思いが昔の人たちには湧いてきた.それは単なるペダンチックな趣味だったのではなくて,一見異なるものを結びつけるための「プロトタイプ」として昇華させるということだったのだと思います.それがどこまでうまくいくのかはわかりませんけど,ある種の抽象化が,私たちに地上を見つめる鳥瞰図を授けたことはいうまでもありません.

だから,一段高い水準でみるということはとても大事なことで,無駄ではない.上の茂木さんの本では,それを学問の枠を超えて壮大にやってしまおうとしているわけです.そのために「補助線を引こう」としている.補助線っていうのは全体を見ないと引けないんですよね.