アンチ(2)

一昨日勢いに任せて整理もせずに書いたわけですが,mk2さんがどうも言及しているみたいなので,恥ずかしくないようにきちんと整理しておくことにします.

私は「アンチ巨人」そのものが嫌いなわけではないです.「野球は好きだけど,巨人だけは好きになれない」という人を誤謬であるとは言いません.ただ,アンチ巨人」という言葉だけが横行している時代ってありましたよね,ということ.具体的に言うと,実際テレビかなんかのトーク番組で,「野球あんまり知らないけどアンチ巨人です」などと言う人がいた記憶が私にはあったということ.「根無し草」感っていうのは,そういう,何かわからんけどまずここ叩いとけという短絡的な思考のことです.

この嫌悪感は,「朝青龍が問題起こしたときだけ相撲を取り上げるワイドショー」に対するそれと似ているかもしれません.

んで,こっから屁理屈の理想論になるよ.
アンチ巨人」はあるけど,「アンチ阪神」とか,「アンチ中日」とかはないということが,「アンチ巨人」の実像だと思うんです.巨人ファンならともかく,「アンチ巨人」を表明することによって,結局は「巨人がプロ野球の中で一番有名で,一番歴史があって,資金が潤沢にあって,それでいてプロ野球の中心球団である」ということを認めている.そうでないなら,「アンチ巨人」が人口に膾炙することはないはずです.

F1の話でいうと,皆ハミルトン叩きまくっているけれど,結局「ハミルトンが強くて注目されるから」叩いているんでしょうということです.それが先のアロンソの発言に出ています.「彼はシーズンを通じて一貫性がある」ことは認めているんだし.

すると,もう一つの「アンチ巨人」像ができると思うのです.それは,「『アンチ巨人』という言葉が成立していること自体に反対する」立場,つまり,「巨人の優位性」を願わくは抹消せんとする立場のことです.巨人を「プロ野球の中心的存在」から引き摺り下ろそうというこの考え方は,名付けるなら「アンチ巨人中心主義」,短く言うなら「アンチ『巨人』」,「巨人」というものを否定する立場とも言えるでしょう.

資金もメディア戦略的にも巨人が優位に立っている現在の状況において,その目論見はかなり非現実的かもしれませんが,不可能とも言えませんよ.パ・リーグが大分盛り上がってきたことや,巨人の宿敵である阪神が強さを取り戻したと言うこと,あと,巨人戦の放送枠の縮小もこの目論見に貢献するでしょう.人によっては,年棒に上限を設けるだとか,比較的弱小な球団への配慮も主張するでしょう.

結局,それはつまり,「プロ野球が今以上に面白くなること」に違いありません.この立場に立つと,球団としての巨人,もしくは巨人の選手が好きか嫌いかはたいした問題にならない.そういう意味では「アンチ『巨人』」はもう「アンチ」でもないですが.

そもそも,(乱暴な言い方だけど)ナベツネ批判とかってこういう文脈で出てきているよね.プロ野球が好きで,それでいてそれをつまらなくするようなものを批判するのは当たり前のことです.

F1でいうと,「ハミルトンの優位」を相対化するために,新しいスタードライバーの登場を夢見るということになるでしょうか.これならもっと期待が持てるね.アロンソは自分がハミルトンを破ってチャンピオンになろうとしているんだろうけど.

うー,長くなってしまった.別にこういう考えは目新しいもんじゃないと思うんで,書かなくてもいいかと思ったり.ただ折角書いたんで残しときましょう.