骨折り損の草臥れ儲け

レジデント初期研修用資料--勤勉という悪徳

アンカテ--ヒトに向かう勤勉さと銃を今すぐ規制せよ

ものすごく共感できるんですよ.で,その共感をどうにかここに書こうとしてみよう.解釈が間違っているかもしれない.

「勤勉さ」が美化されすぎているのっていうのは,本当に本質を見据えていないなあと私も思います.ただmedtoolzさんのいう「能力」という言葉に少し苦しんでいるわけです.「才能」ととらえてしまうといけないみたいですね(誰に向かって言っているんだろう).

例えば,野球選手が素振りや投げ込みを汗だくになるまでする光景があります.それを「勤勉」だと思わない人はいないはずです.ただ,プロである彼らは,ただ闇雲に素振りや投げ込みをしている訳じゃなくて,1回ごとにフォームや球の動きや自分の感覚をすべてフィードバックさせながら数をこなしている.そうでなくて,ただ投げたり,ただ打ったりを繰り返しても,うまくはならない.

スポーツが苦手なので,もうちょっと自分のフィールドから例を出そうっと.

塾講師でもある私は,授業のときに生徒に宿題を出し,次の週にチェックをかけます.宿題をやるということは,その週の内容を理解するということですから,必ず出すように決まっている.でも生徒の側からすると,そんな目的は大義名分なわけで,「宿題をやる」ということが目的化してしまう.もうそうなると何してもいいわけですよ.答えを見てやってもよし,人に聞いて答えを写すだけでもよし.問題を飛ばしまくって正しい答えを赤で書いておしまいでもよし,とにかくやってくればいい,埋めてくればいい.結局1週間後には何にも頭に残っていないというケースも….まあでも生徒さんはまだ若いですからね.すぐに「それじゃいけない!」と思うようになってくれるのですが.

努力することや勤勉であることは善でも悪でもなく,あくまで「手段」でしかないだと思います.だから,medtoolzさんの言うように,それだけで能力の判断はできない.最悪なのは,「努力すること」が目的になってしまうこと.「努力してる俺ってすごくね」「すごくねえよ.お前のやっているのは野球がうまくなるための素振りじゃなくて,近くの女子テニス部の美人さんにいいとこ見せたいだけだろうに.」じゃ困ります.

だから「無能」という言い方より「何にも考えてない」とか「安直」とか,そういう表現のほうがいいのかもしれません.まあ,そういうことをちゃんと考えて努力するということがすでに「能力」なのでしょう.一番ひどいのは目的も何もないこと.「状況定義」が漠然としすぎていること.essaさんの言う「不適切な勤勉さ」というのはそういうことだろうと解釈します.

「手段を目的にしてはいけない」と言った感じのことって,当たり前のことですが,意識したことあまりなかったなあと思って書いてみました.これで「そういう意味でいったんじゃねえよ,バカ」とか言われたら,本気で平謝りです.